研究家と行くインパール作戦跡地を巡る慰霊の旅

  • インパール郊外にある日本人戦没者慰霊碑
    インパール郊外にある日本人戦没者慰霊碑

インパール作戦とは?

1944年(昭和19年)3月~7月に、インパールを包囲し、英印軍を始め連合軍による中国への補給ルート(所謂、援蒋ルート)を断つ作戦で、牟田口中将によって強引に実行されました。

当時日本の領地であったビルマから延べ60,000人程の日本将兵を動員しましたが、補給を軽視されたこの作戦により雨季の中のジャングルと険しい2,000メートル級の山脈を徒歩で超える前に2週間分しか持たされなかった食糧や医薬品は絶えてしまい、多くが栄養失調やマラリア等の病にかかり亡くなられました。

50㎏もある重装備を担いでようやくインド側に辿り着いた将兵には更に過酷な戦闘が待っていました。当初は勢いで英印軍を圧倒させたものの、補給の支援が一切無い日本兵は十分な栄養を蓄える事ができず、作戦中に最も悲惨な戦場であったインパール郊外のレッドヒルでは日本側はほぼ全滅状態になってしまいました。退却時にも途中で力尽きて多くが倒れ、ビルマまで最終的に戻れた日本兵はごく僅かです。

この4か月の戦いで日本軍の生存者は1割以下とも言われており、日本の歴史上最も悲惨な出来事とも言われています。殆どは戦闘では無く、餓死や病で亡くなられた方々が多いとされています。

結果的に日本側の敗北にはなりましたが、地元住民によって日本人戦没者慰霊碑が建設され、勇敢に粘り強く戦っていた日本軍の根性と精神は現地でも語り継がれている様です。

旅の計画

インパール作戦戦跡ルート地図

※赤色の矢印はおおよその動きを示すもので必ずしも正確ではありません。
※参考までに、ディマプール(A)からインパール(E)は約200㎞です。

インパール作戦時、日本軍は南から「弓」、「祭」、「烈」の3つの兵団に分かれてビルマからインパール及びコヒマの方向へ攻めました。空港のあるインパール(E)とディマプール(A)は旅の玄関口になります。

モデルプランとしては、上記のアルファベット記号を基準に基本コースがディマプール(A)~モイラン(G)を巡る旅、そしてインパール(E)を基盤としてウクルル方面(H~I)と、ミャンマー国境方面(J)と組み合わせる事ができます。

弊社のツアーはすべて完全オーダーメイド型ですのでお客様のご希望に沿ったプランを作成させて頂きます。

ツアー概算料金

下記モデルプランの周遊ルート、並びにご紹介のホテルクラスでの大まかな概算は以下の通りです:

ご参加人数料金
1名様1日あたり約52,000円
2名様1日あたり約39,000円
(2名様1部屋ご利用の場合)

<お見積りに含まれるもの>
○専用車
○アランバム氏によるガイド
○お食事
○入場料
○1日1リットルのペットボトルの飲料水
○宿泊
○慰霊を捧げるためのお線香、生花や果物のバスケット

<お見積りに含まれないもの>
×現地までの航空券(別途ご案内致します)
×現地協力会社への送金手数料(9,000円)
×お飲み物(現地払い)
×チップ(現地払い)

頻繁的な現地の物価上昇のため料金が変動的である事と、弊社のご旅行はすべてオーダーメイドのため、実際にご希望される時期と日程やルートをお知らせ頂いた上、正確なお見積りをさせて頂きます。

インパール作戦研究家アランバム氏のご紹介

このツアーでは、インパール作戦研究家のアランバム氏のガイドとしての同行を前提としております。

アランバム氏はインパール作戦の日本軍関連に精通しており、各地で自ら収集した遺品等が展示がされているインパール平和資料館の運営者でもあります。

現地で第二次世界大戦インパールキャンペーン財団を設立し、在インド日本大使館と日本の厚生労働省から感謝状を受けています。また、笹川財団より東京と沖縄へ博物館関連の協力として招待を受け、日本戦没者遺骨収集推進協会のプロジェクトの一員として活動をしております。日本語は話せませんが、携帯電話の翻訳アプリ等通して簡単なコミュニケーションをする事は可能です。

万が一ご希望の日程と都合が合わない場合は催行ができない場合があります。予め、余裕を持ってご計画下さいませ。

お薦めの訪問時期

ベストシーズンはモンスーン(雨季)の一番激しい時期を除いた9月~5月です。4月頃から雨量は多くなり、6月~8月はかなり本降りで道路もぬかるむ箇所があり、移動時間に影響される事があります。山岳地帯のため、気温は年間を通して涼しく、冬はコヒマやウクルル等では朝晩は5℃近くまで下がります。

主な見どころ

コヒマ大聖堂付近より眺めるコヒマの街並み

コヒマ
上記地図上:B

標高約1,500メートルの山肌に位置するナガランドの州都です。人口は80,000人ですが、車台数が多く、日中は渋滞が多く発生します。標高があるので、年間を通して涼しく、快適です。他のインドの都市から来ると驚くのはほとんど道端に動物が居ない事。牛はもちろんの事、野良犬や野良猫もあまり見当たりません。現地人によると、生き物は何でも食べるので居ないとか。

激戦地だったテニスコートから眺めるコヒマの連合軍墓地

連合軍墓地(コヒマ)
上記地図上:B

第二次世界大戦中、連合軍と日本軍の間で激戦が繰り広げられました。両側で多くの犠牲者が発生し、市内中心部では戦場となったテニスコートの跡地に墓地が建てられています。英印軍の補給の中心だったインパールとは異なり、コヒマの方が日本軍が圧倒させていました。もし、その先のインパールへの補給の重要な基地があったディマプールを攻略できれば、作戦は成功したかもしれない、と言われています。

様々な地元の野菜が並べられているマオ・マーケットの風景

マオ・マーケット
上記地図上:B

「ナガランド人は動くものは何でも食べる」と地元の人が言っていましたが、ここへ行けばそれが明確になります。ローカルの野菜はもちろんの事、犬肉の解体、豚、アヒルを始め、食用の芋虫やカエルなどとにかく何でもありの市場です。また、ナガランドには「世界一辛い唐辛子」で有名なナガ・チリをここでは販売しています。大きくて太ったのがナガ・チリで、罰ゲーム用に購入するのもありかもしれません。


コノマ大聖堂内の祭壇と十字架

コヒマ大聖堂
上記地図上:B

北東インド最大の教会です。この教会は日常の祈りが亡くなった日本人戦没者の方々へ響く様にという目的で日本の援助によって1991年に建てられました。ナガランドの伝統的な家の形をしており、教会の敷地内には桜の木も植えられています。この教会は日本とイギリスの元兵士が和解のために集まったりと平和のための重要な役割を果たしておます。

第二次世界大戦博物館の館内に展示されているディスプレイや遺物の数々

第二次世界大戦博物館
上記地図上:C

コヒマ郊外のキサマ村にある博物館です。インパール作戦や日本と連合軍との戦いを詳しく説明され、すべて見学するにはまる1日掛かる程の情報量があります。地図や絵で分かりやすく表記してあり、どの様に戦争が発展していったかが伺えます。日本兵が使用していた飯ごう釜の展示もあり、どの様な気持ちで兵士がこれを使っていたか等を考えたりすると心が複雑になるかもしれません。

ほうれん草の葉を集める村の女性達

キグウェマ村
上記地図上:C

ここはインパール作戦中、佐藤中尉が滞在しており、今でもその家が残されています。村の入口の建物には日本軍が来た事を伝える日付が記載されています。伝統的な家屋が多く、昔ながらのスタイルで清潔に整備された公共の場は日本人にとってはどこか懐かしさが感じられます。※写真はコヒマ郊外のコノマ村ですが、村の雰囲気はキグウェマ村ととても似ています。


コヒマの州立博物館に展示されているナガ族の伝統衣装と家屋の模型

州立博物館(コヒマ)
上記地図上:B

ナガランドの各部族の展示物があり、部族ごとに異なる民族衣装や服飾品は比較すると違いが分かり面白いです。ナガランドは12の部族が集まり、すべて言葉が違い、部族間でまったく通用しないのでいかに部族で暮らし方が異なるか興味深いです。

国道二号線沿いに建てられた第二次大戦時の舞台だった事を知らせる標識。

国道2号線
上記地図上:D

ディマプールとインパールを結ぶ国道2号線はマニプールの人達にとってのライフラインです。必要な物資はここを通ってマニプールに入ります。イギリスによって作られ、大戦中も同様に重要な道路であり、日本軍にとっては相手の補給を遮断するために何度もこの道路を攻撃し戦場の場になりました。今でも道中、戦いの場であったことを知らせる石碑が立っています。

インパールのシンボルでもあるカングラ・フォート

インパール
上記地図上:E

広い谷間に位置する街で標高は約700メートル、人口20万人強と北東インドでは最も発展の街の一つです。大戦中、英印軍の重要な司令部がありました。日本軍がほぼインパール盆地周囲全域を包囲した際、空輸による補給が行われ、その時に多くの滑走路が敷かれました。その数、6つ。インパール空港もその一つです。


インパールの連合軍墓地の全景

連合軍墓地(インパール)
上記地図上:E

第二次世界大戦中のインパール作戦で亡くなった連合軍の墓地です。ここには1,600人の英国及びコモンウェルス(英連邦)兵士が眠っています。近くには、同じく英軍として戦ったインド軍の墓地もあります。ただの墓地ではありますが、日本軍戦没者慰霊碑と併せて訪問し、両方で平和を願う事ができます。

田園地帯のヌンシグンの丘の麓付近

ヌンシグンの丘
上記地図上:E

別名「4057高地」とも呼ばれ、インパール付近ではレッドヒルと並ぶ戦いの舞台となったところです。インパールに一番近い場所まで攻略できた時点でしたが、この場所で英印軍の激しい砲撃にあい、多くの日本将兵が亡くなりました。近辺に住む村人の話では今でも時々夜になると山の中で日本兵が履いていたと思われるブーツの音が聞こえるそうです。

インド平和記念碑の標識と奥にインパール作戦博物館

インド平和記念碑インパール平和資料館
上記地図上:F

レッドヒルの麓に位置する、1994年に日本政府によって建てられた記念碑です。平和を捧げるメッセージが日本語と英語で記載があり、インドと日本の友好の証しとして建てられました。園内には桜の木が植えられており、春(1月下旬~2月頃)には桜の開花を見る事ができます。また、隣にはインパール作戦関連の資料が揃ったインパール平和資料館が隣接されています。


レッドヒル麓に建てられた日本人戦没者慰霊碑

日本人戦没者慰霊碑
上記地図上:F

インド平和記念碑の横には、日本人戦没者の慰霊碑が建てられています。こちらは現地の村民によって建てられ、小さな敷地内には日本軍の使用した機関銃も残されています。ここレッドヒルはインパール作戦の中でも最も激戦地だったとされ、日本将兵はほぼ全員が英霊となりました。インパールを訪れたら、ここは是非日本人として訪れたい場所です。

ロクタク湖の南側から眺める湖全景

モイランとロクタク湖
上記地図上:G

モイランは大戦中、日本の支援で結成したインド国民軍(INA)が最初に旗を揚げた場所で、今ではその記念としてINA博物館があります。また、街の一角は世界でも類を見ない湖、ロクタク湖があります。丸い形をした緑の浮島が無数にあり、これらはすべて人工的に漁業のために造られたものです。マニプール料理には欠かせない魚の多くはここロクタク湖から運ばています。センドラ・アイランドの高台からインパール平野全体を見渡せます。

イマ・マーケットで包丁を販売する女性

イマ・マーケット
上記地図上:E

なんと、ここは女性の店主だけで経営されている市場!その数は3,000人以上にもなり、北東インドで最も大きな市場です。フルーツ、魚、野菜の他、籠、工具等、生活に必要なものはほぼ何でも手に入ります。ここでお土産を探すのも良いかも!?歩いているとここは東南アジアの香りがします。


サンシャック
上記地図上:H

日本では「サンジャック」の方が一般的に呼ばれています。第15師団「祭」の一隊が高い山脈を超えて初めて降り立ったのがここサンシャック。当時は英印軍の司令部があり、一週間をかけて攻略をしました。村の教会前には日本兵の戦死者の遺骨が発掘されています。この村一帯にはまだ未発掘の白骨や、日本軍の使用していた遺品等が数多く眠っているとされ、調査対象としては重要な場所とされています。村民に建てられた日本軍の慰霊碑があります。

ウクルル
上記地図上:I

マニプール第2の都市で人口は10万人弱。標高約1,600メートルに位置する山岳都市です。教育の中心地でもあり、数多くの学校や大学があります。ここはタンクル・ナガ族の地でインパールとは雰囲気が異なります。インパール作戦時、第31師団「烈」はウクルルに辿り着けれ食糧がある!と期待して攻めたものの、結果的に確保する事はできず、激しい戦闘の日々を繰り返すのみでした。

モレー
上記地図上:J

ミャンマー国境の街です。途中、険しい山岳地帯の中を通り、テングノーパルは戦場の一つでした。モレーより先は広大な平地となり、気温もグッと上がります。インド・ミャンマー友好の橋があり、そこを超えると先はミャンマーです。退却時、ここには野戦病院があり、食糧も医薬品も底をついて多くの日本兵が栄養失調や病によって亡くなられました。

インパール作戦跡地を巡る旅の参考日程

①コヒマ・インパール周辺のみ基本の日程(4泊5日;ディマプール空港発~インパール空港着)

行程【宿泊地】
1ディマプール空港到着後、専用車にて山道を上り州都コヒマへ。連合軍墓地見学後、ホテルへチェックイン。
【コヒマ泊】
2マオ・マーケットコヒマ大聖堂を見学後、キサマ村の第二次世界大戦博物館、及び佐藤中尉の住んでいた家があるキグウェマ村の訪問。コヒマへ戻り、時間があれば州立博物館を見学。
【コヒマ泊】
3インパールへ向けて移動。途中、戦いの舞台だった国道2号線を通ります。インパール到着後、連合軍墓地見学。
【インパール泊】
4未だに日本軍の亡霊が現れると言われているインパール郊外にあるヌンシグンの丘付近へ。その後、インパール作戦中最も悲惨な戦いの舞台だったレッドヒルへ。麓にあるインド平和記念碑戦争博物館、及び日本軍慰霊碑を訪問。その後、モラインのINA博物館と、インパール盆地が見渡せるロクタク湖畔のセンドラ・アイランドへ。
【インパール泊】
5インパール市内観光(イマ・マーケット)後、インパール空港へ。

②ウクルル追加の日程(+1泊2日;インパール発~インパール着)

行程【宿泊地】
1インパールのホテルを出発後、サンシャック(サンジャック)村へ。日本軍兵士が埋葬されたとされる村の教会を訪問。その後、ウクルルへ。途中、日本軍の慰霊碑の前に寄ります。
【宿泊:ウクルル】
2ウクルル周辺の激戦地だった舞台の場を訪問。その後、インパールへ戻ります。

③モレー(ミャンマー国境)追加の日程(+1日;インパール発~インパール着)

行程【宿泊地】
1インパールを出発してモレーへ。途中、激しい戦いの舞台でもあったテングノーパルにて谷を眺めながら慰霊。険しい山脈を超え、ミャンマーの平原へ向けて下ります。市場がある国境と、印緬友好の橋※を訪れます。その後、インパールへ戻ります。
※情勢によって実現できない場合があります。

現地のお薦めホテル

ラズープルー(コヒマ)

イギリス植民地時代に建てられたコヒマで最も古く、お洒落なヘリテージホテルです。寒い冬でも木造建築なので暖かく、居間にはナガの装飾品が飾られ、とても風情があります。ベッドシーツや家具はすべて女性オーナーのこだわりがあり、とても快適に滞在ができます。こちらではフロントにオーナーがデザインした枕カバーやジュエリーや竹のカップ等、国外へ輸出している製品がこちらで購入できます。


クラシック・グランデ(インパール)

インパールはもとより、北東インドで最も設備の整ったデラックスホテルです。2014年にオープンした4つ星ホテルで、レストランの他にもジムやプール、スパ等もあり、快適に過ごせます。サービスも洗練されております。同系列のホテルでインパール市内にはホテル・クラシック、ホテル・インパール、そしてロクタク湖にはセンドラ・アイランド・リゾートがあります。

現地の飲食事情に付きまして

朝食と夕食はご滞在先のホテルで召し上がり頂きます。朝食は西洋風が提供され、トーストとオムレツ等のシンプルなメニューが一般的です。クラシック・グランデではビュッフェスタイルの朝食がお楽しみ頂き、インド定番のサンバル(酸味の効いた豆のカレー)やイドリー(米粉でできた蒸しパン)等もあります。

夕食は現地伝統料理がお薦めです。ホテルの場合、辛さも控えめで外国人にも食べやすい味となっております。ナガランドはポーク料理が、マニプールでは魚料理が一般的です。普通のインド料理とはかなり味付けが異なります。

昼食は移動時間が長いため、道中の食堂で召し上がり頂けますが、地方になればなるほどあまり種類は豊富ではありません。特にマニプールでは基本的に現地スタイルの定食のみとなり、唐辛子を多く使用しているので基本的に辛いですが、マニプールの料理は日本はもちろんの事他のインドの都市でも殆ど召し上がる事ができないので、貴重な体験です。

ナガランド、マニプール両方とも禁酒の州です。ホテルでは一切購入する事ができません。焼酎に似た地酒や闇でビール等は購入する事はできますが、ホテルの部屋で飲むなどだけに限られます。

現地のガイド、道路とトイレ事情

現地に精通した英語ガイドのみのご手配となります。日本語の通訳を必要な場合はデリーから派遣をさせて頂く形となります。尚、こちらのツアーではインパール作戦研究家によるガイドの同行を前提とさせていただいております。

幹線道路は比較的舗装はされていますが、山岳地帯になると雨季の大雨による地滑りや土砂崩れによって凸凹している箇所も多く、決して状態は良いとは言えません。蛇行運転でスピードもあまり出せないため距離が短くても結構な時間が掛かります。

トイレはドライブインに併設されていますが、インパールとコヒマの間の山岳地帯では極端に数が少なくなります。できるだけ、ドライブインで事前に用を足すようにしましょう。

注意事項とお問い合わせ方法

<マニプールの情勢に関しまして>
2019年5月現在、外務省の海外安全情報では危険度レベル2の「不要不急の渡航を止めて下さい」となっております。マニプールでは近年インドからの分離独立運動の動きがあり、反政府の過激派によるインド政府関係のへの攻撃も時々起こっております。2016年1月、2017年3月、2017年4月、及び2018年6月に弊社スタッフが現地訪問した際、観光客を狙った様な事件は一切無く、インド軍も多く駐留しているので逆に治安面に安心感は比較的あると判断しますが、地元住民によるストライキ等により、道路が遮断されたり、ナガランドとの州境が閉鎖されたりという事は過去にも起こっております。日程通りにスケジュールが進まない可能性も否定できませんので、予めご了承下さいませ。

<お問い合わせ方法>
お気軽に ej@h2travels.com までお問い合わせ下さい。その他のお問い合わせ方法はお手数ですが、こちらをご参照下さい(新しいタブに開きます)。

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